呼びかける知恵(箴言8章1〜3節、22〜36節)

はじめに

教会学校のお話しを担当するようになって、初となる旧約聖書の箇所になります。今回は知恵文学の一つに数えられる『箴言』という書物の8章を取り上げます。

今回の8章は冒頭に「知恵の勧め(三)」とトピックが付けられていて、1節では「知恵が私たちに向かって呼びかけている」という内容でまとまっています。

箴言とは

箴言という言葉を調べてみますと、「自分自身の過ちを改めたり、生き方の指針としたりするための「戒めの言葉」「人生の教訓となる言葉」という意味が出てきました。

知恵が呼びかける

今回の教会教育でのタイトルが「呼びかける知恵」とのことで、私たちの人生において必要になるであろう「戒めの言葉」や「人生の教訓となる言葉」が隠されることなく、私たちに呼びかけられるとは、何とも言えない幸福感に満たされます。

知恵が語られる場所

まず、2節において、知恵が語られている所を見てみましょう。

・「高い所に登り」とあるのは、多くの人に届く場所、広く見渡せる場所を表しているように思います。

・「道のほとり」は、日常のいたるところ。主に、一人でいる時が想定されていると思いました。

・「四つ角」は、先ほどの「道のほとり」とは真逆で、人と人が行き交う社会生活が想定されていると思いました。

以上は、日常的にあらゆる所で「知恵が私たちに向かって呼びかけている」ということの構造としては、このようになっているようです。

判断の場で呼びかける知恵

3節では、あらゆる所で語られているところから一歩進んで、もう少し具体的に説明されているようです。

まずは「城門の傍ら」とあります。城門は人々が行き交い、社会生活における重要な判断が行われる場所でした。人間の判断一つで、毒も薬も生み出せてしまいます。そのような場所で知恵が呼びかけられていることは感謝なことです。

「町の入り口」においても、平和を生み出すのも争乱を生み出すのも人による扱い一つで変わります。

知恵が呼びかけてくれるので、最も有難い所は「城門の通路」ではないでしょうか。城門は、人々が重要な判断をする場所でもあります。だからこそ、そこで知恵が呼びかけていることには大きな意味があると思います。こうして見ると、知恵が私たちに働きかけるものが如何に大きく価値あるものかを思わされて、また心静めて聖書に向き合わなければと思わされます。

天地創造と知恵

22節からは、「知恵が天地創造に先立って造られた」と書いてあります。32節で「さて」という接続詞が使われているので、その前の31節までが「天地創造に先立って知恵が造られて、神様と共にあった」の箇所と見ていいでしょう。

私としては、23〜27節までの間に繰り返されている「〜ていた」という表現に圧倒されます。23節では「わたしは祝別されていた」。24〜25節では「わたしは生み出されていた」。26節では「まだ造られていなかった」。27節では「わたしはそこにいた」。

これは、世界が無秩序に作られてはおらず、神様の知恵において作られたという宣言であり、私としては「神様にあって憩うことの重要性」を教えられて、安心させられます。29節には、地球における陸地と海の境界が定められ、現在もその境界は維持されています。天地創造の規模感は大きいと感じられますが、そこに働かれる知恵のそれも大きいものがあります。

知恵を司る神様が作られた世界の秩序に沿って生きることの勧めが、次の30〜31節の箇所になるでしょう。

30節では、知恵が御もとにあって巧みな者として、神様とこの世とを繋ぎ、これからも働きかけていくという宣言なのでしょう。「絶えず主の御前で楽を奏し」とあるので、神様の御前における知恵の喜びや創造の豊かさを感じ取る大切さが示唆されています。

知恵に耳を傾ける

31節では「この地上の人と共に楽しむ」とあります。旧約聖書の創世記において、アダムとエヴァが善悪の知識の木から実を取って食べてしまったため、エデンの園から追放されてしまいました。私個人としましても、日々の生活の中で、思いつきや感情だけで動いてしまうことがあります。けれども、この世界は神様の知恵の中で造られているとすれば、私たちもその知恵に耳を傾けて歩む必要があるのだと思います。神様は知恵を尽くしてくださり、今では私たちと共に楽しんでいてくださっています。本当に感謝します。

「知恵が私たちに向かって呼びかけている」から始まり、「天地創造に先立って知恵が造られて、神様と共にあった」という根源的な内容に触れてきて、32節からは「わたしに聞き従え」となります。「いかに幸いなことか。」と仰いますし、33節では「知恵を得よ。」とも仰います。何故なら、35節で「わたしを見いだす者は命を見いだし」とあるからです。知恵と言ったら、勉強と組み合わせて考えがちですが、ここでは命に関わる生き方として語られています。

まとめ

知恵を見いだすために、私たちがすることと言えば、聖書を読み、祈り、礼拝に集い、教会の交わりの中で御言葉に聞くことでしょう。聖書を読んで、直ぐに答えが与えられて、悩みが一瞬で消え去るようなことは多くはないと思います。だからこそ、日々聖書を読んでその教えに耳を傾けて、心を尽くして聞き従い、主に望みを置く人は幸いであると、34節で言われているのだと思います。

私たちが聖書の教えを心に蓄えて、神様の知恵に信頼しているならば、いつか知恵の扉が開いて突破口が与えられるかもしれない。この度の原稿を準備するに当たって、主に喜び迎えていただけるように、これからも知恵である神様の御言葉に聞き従いたいという気持ちを新たにしました。

これまでのお話しに関連する新約聖書の御言葉がルカによる福音書11章28節にありましたので、最後に紹介します。

『しかし、イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」』

知恵あるお話しを伺って、私たちは感心して褒めたり、強く感動したりするだけで終わらせがちになりますが、私たちは知恵の呼びかけを聞いて、それに聞き従う者でありたいと願います。

皆様はどう思われたでしょうか?これにてお話しを終わらせていただきます。ありがとうございました。

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