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本を読むと言うこと

本を読む理由は思考力を身につけること

去る日に、YouTubeで林修先生が勉強を苦手とする若者達に授業をしている動画を見た事がある。そこで個人的に印象に残っているのは、林修先生が「勉強しないのは別に責めないよ。けど、本を読まない人は嫌い。」と言う発言で、よくよく考えさせられたのを覚えています。

私自身の場合クリスチャンになる前は、まともに本を読破した事がなかったのは間違いなかった。そんな自分が本を率先して読んでいく習慣を身につけるにおいて、何故林修先生が本を読まない人は嫌いだと言ったのかを推察するならば、それは人間がものを考えるためには、その材料が必要だからと言うのが先ずはあるだろうと思われる。本と言うのは、筆者が命懸けで読者に伝えたいと思った事を筋道立てて書いてある訳で、それを論理的に読んで行く事で筆者が言いたい事をありのままに掴むのが可能になる。論理的な文章は情報が整理されている状況で提供されているので、私たちはただ論理を追うだけで、結果的に生きる知恵を手に入れられるんだと林修先生は言いかかったのだろうと思った次第。自分の力でものを考えて欲しいと言う事だろうと思う。

最も大事なのは他者意識

林修先生が授業した中で、私が最も大事だと思っている本を読む事の効能は、他者意識だと思っている。これは自分を客観的に眺めたり第三者の視点から眺めたりする力だと説明されていた。そうしてみる事で、自分の課題点を改善したり、悪い点をしっかり直したり、良い点を伸ばしたり出来て、人生を前進させる事が出来るのであり、自分をプラマイゼロのニュートラルな状況に追いやる事で見えてくる世界があると知った時は、心底感動したものである。

他者意識の大事さは、自分の人間関係を振り返ってみても感じられるものである。私の友人に有名大学Mを卒業した男性がいるのだが、彼は大学を卒業したので天狗になってしまい、自分への過信と傲慢で満ちているような人である。読む本と言えば、評論ではなく教科書や資料集と言った知識重視の本が多く、とても思考力を磨いているようには感じられない。そんな彼を通してみても、本を読む事の大事さは強く思い知らされるものである。

以下に、彼の思考パターンを書いてみるが、こうならないように林修先生は若者達に渾身の授業をしたのだなとしみじみ思った次第。

本を読まない人の思考パターン

本を読まないと以下の通りの無限ループにハマると思われます。

本を読まない

自分でものを考えられない

ものを考えて何かを知る楽しみを知らないから、人に過剰に頼りたがる。人に依存するしかないと思い込む。

結果的に自分の心の隙間を埋めてくれる人を求めるようになり、そんな人にはいい人が寄って来ないため、次第に孤立する。

本を読む事に問題の解決を求めないため、また人に依存するようなイタいひとになる。(最初に戻ってる)

本を読むことの効能

私自身も経験があるが、本を読まないと自分の中で生み出された良いものを相手に与える事が出来ないので、重要なコミュニケーションの武器を失うことになるのである。人間関係は自分が相手に与え、相手も自分に与えてくれると言うWin-Winの状況が持続しない限りは、いつかは崩れていくものであると、私は長年の人生経験から確信している。また、自分はほどほどの人生で良いと思っても、周りのみんなが追い上げたら、自分は最下位グループのつまらない人間に成り下がるのだとも思っている。

そういった事に対策を立てるために、本を読む事は必要不可欠である。筆者が書いた文章の論理を辿って読む時に、その本の正確な内容が分かるだけではなく、ひいてはその筆者とも会えるような実感が持てる。知識や知恵が授かり得る上に、筆者という人と出会い、私たちは満たされる。この喜びを知らないために無駄に人に会い、友達もどきと遊び歩いて貴重な時間を浪費するのが、あまりにも多すぎた気がする。これからも良書に親しみつつ、自分を成長させて行きたいと願っている。

 

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