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角川武蔵野ミュージアムにおける知的刺激

1日置いてみて、改めて角川武蔵野ミュージアムの良さを深掘りしていきたいと思います。

1階から5階まで、本に触れ合うことができるテーマパークなのだと、前日のブログ記事で紹介しました。

まず1階には、ライトノベル・小説・児童書の類いが集まるエリアとなっていました。私語厳禁で、ひたすらに本の世界に没入できるエリアだと感じました。

普通の図書館だとデスクと椅子があって、しっかりと姿勢を整える仕様があるものだけど、

ここでは多くの大人たちがソファーに座って、本の世界に没入していました。そうでなかったら、寝転がって寛ぎながら読める個人向けは設備もあり、

読者たちはその対極なものがある世界に身を置き、少しずつ本を読む習慣と姿勢と心構えとをトレーニングしていけることになっているようです。

3階の展示室の中に入っていくと、角川書店がこれまで発行してきた人文系・社会科学系を基盤とする蔵書の数々が私たちを迎えてくれます。

気分としては、本の中に入ったような心境で、それぞれのカテゴリー毎に様々な本が置かれていて、背表紙を見て情報を仕入れるだけも良し。

実際に手にして、本の世界に没入するも良し。本は一人の人間が知恵を尽くして得られた知のエッセンスが体系化されたものなのだから、

あっちへ行ったりこっちへ行ったりすることで、知識をつまみ食いできるのはさぞかし贅沢の極みなのだろうなと感じました。

そう思えるのは、私がクリスチャンであり毎日少しずつ聖書という本を通読していればこそ、

そこで得られたことにインスピレーションを受けて、行動した結果として今があるからです。

主イエス様はイスラエル北部のガリラヤで、直弟子となる12人の弟子と出逢われて、彼らを信仰の世界へと誘いました。

最初は戸惑いがあったろう弟子たちは主イエス様に教えられ、訓練を受けて、主イエス様に寄り添われて、

少しずつ自分で歩きながら自走する術を身につけていったのだと思います。主イエス様が面倒を見ながらも、彼らが1人前なれるよう、

ヒントを示しつつも自分で行動することを主軸に据えて、温かく弟子たちを見守って指導に当たっていただろうと思うのです。

本に囲まれているのは、言うなれば主イエス様のような師匠の元に身を置くことで、そうだからこそ人は考えるところから行動しようとするのだろう。

本が手取り足取り教えてくれないから、私たちは本を開いて読み、黙想するという営みをするのでしょう。

一つの本で挫折しても、同じカテゴリーの本がより分かりやすく教えてくれるかもしれないし、そんな回り道を厭わないからこそ、

私たちは本から色々なことを学ぶし、考えた結果として一つの結論を導き出すこともできる。

そんな営みが人生に張りを与え、人生を整えて、自分と関わり合いのある他者にも影響を与えうるものなのかもしれない。

私は聖書を読み続けて人生を変えられた者として、そのように核心を持って言える。

だから、角川武蔵野ミュージアムへ赴いて本と出会い、静かな環境下で大いなる存在と対峙する経験をしてみては如何だろうか?

そこには、人間が築き上げた圧倒的な知の領域とそこで真摯に向き合おうとする人たちとの出会いがある。

その出会いが人を変革へと向かわせるエネルギーにいなるのだろうなと信じて疑わない。

 

 

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