昨日の教会学校で発表した原稿の中身について、ここで反省してみる。今回は過去2回の原稿と比べたら、上手くいかなかったと思っている。
それは初めて旧約聖書を取り上げたから、箴言のような詩の形式に対応できなかったのはある。自分が入手していた情報をひたすらに貼っていくような幼稚な手に出たのが原因だと思っている。
文章は構造体であるということを忘れていた。立板から流れる水のような話しにするなら、せめて全体像を抑えてから、細部を潰していくべきであった。自分の基本的な武器を恐れのあまり、手放していたのかもしれない。これだと戦えないし、負けるわけだ。
自分の基本的な武器を手にするには、日頃から聖書を読むだけでなく、読んだらしっかり祈るべきであった。祈ることで、御言葉の適応を自分のもとに手繰り寄せるべきであった。
今日は昨日の教会学校での反省で終わらせようとしたら、FNNプライムオンラインというYouTubeチャンネルで、先ほどノーベル化学賞を受賞された硤合憲三・東京理科大学栄誉教授のインタビューが放映されていた。とても励まされたので、以下に記しておく。
フジテレビの記者が「失敗したときにどう乗り越えてきたのか?』と質問した時に、
硤合憲三教授は『失敗したことはない。研究で失敗というのは「駄目」という結果も出ない(こと)』と仰る。
私は素晴らしいと思うと同時に震えてしまった。つまり、私としては「何もしないことが最大の失敗なのだ」ということで受け取らせていただきました。
その先の回答も素晴らしい。
最初狙っていた通りにならなくても、私どもの場合は有機化学の実験だが、こういう条件でこういう結果になったといったら、
それは自然現象の一つだから決して失敗ではない。
無駄な実験や何の価値もない研究というのではなく、すごく華々しくなくても、そういうことに携わっていくのは、
青春のある期間を過ごすこととしては非常に良いこと。
そこしかまだやっていない実験条件がありますからね。
これは神様のお導きであろうか。凹んでいる私に、神様は硤合憲三教授の言葉をもってして、励ましてくださった。
実験が上手くいかなくても、それは自然現象の一つだからと仰る硤合教授の言葉を聞きながら、私は天地万物を造られた神様の前では、思い通りにならない経験にも意味があるのかもしれないと思わされた。
私としても腐らず、また再びどうしていこうかと考えよう。何事も背負うべきと思わず、嫌なことは受け流し、それでもなお自分にはできると信じていらっしゃる硤合憲三教授。見習わせていただきますね。
やっちんの信仰ログ