ボーイスカウトが全ての起源
前回はブログを始めるまでの大まかな流れを記しましたが、今日は私のキリスト教信仰について記してみたいと思います。
私は元々、小学校時代にボーイスカウト日本連盟のカブスカウトに属していました。新潟15団に属しており、事務所となる聖ラファエル幼稚園を拠点に、同世代の少年と交流したりキャンプをしたり、活動していました。1989年9月の第一日曜日に、聖ラファエル幼稚園に併設されているカトリック花園教会で、ミサをやるとの知らせを先週のうちに副団長の方から受けていました。ミサの当日は何も予備知識もなく、親や弟を含む団員の皆さんとミサに与ったのでした。
その時、私は小学4年生でしたが、何もミサに興味も魅力も抱いてはいませんでした。「早くミサが終わらないかなぁ〜」と思いつつ、グズグズしていたと思います。しかし、そんな私を諌めてくれるような存在が目の前に現れます。それは十字架につけられたイエス様のブロンズ像でした。私は「これは一体なんだろう?」と不思議に思いましたが、次第に導かれて素直に会衆の皆さんで祈ったり讃美歌を歌ったり、しっかりと会衆の義務を果たしていました。知識はなくとも、小学4年生の持つ能力でも出来たのが大きいのかな?と思ったりします。今にしてみれば、イエス様の導きだったのでしょう。
カトリックの神父様からの転機
当時の花園教会の主任司祭だった町田正神父様が発した言葉に衝撃を受けたのを、今でも昨日の事のように感じています。それは「イエス・キリストは神様です。」と言うもので、その日のミサはカブスカウトの親御さんも参加するイベントだったので、神父様としては基本的な知識を知って欲しいと思っての発言だったのだと思います。その一言に、私は「本当なのか!?」とビックリ仰天。私は甲状腺ホルモンの病気を抱えていたのもあり、「神様がいるなら助けてくれよ」との願いが一番大きかったのだと思います。その日のミサでのお話は、耳をそば立てて聴きました。
ミサに与ってからは、神父様が仰った話の骨子となる部分を思い巡らす日々を小学校を卒業するまで続けました。思いめぐらしたテーマは、以下のようなものだったと思います。
- 「神様とはイエス・キリストであること」
- 「イエス・キリストは人を救いたい思いから、父なる神様が自分の子として地上に送られたこと」
- 「イエス・キリストは地上で預言者としての働きに従事し、ファリサイ派の律法学者から疎んじられ、死刑にまでされながらも父なる神様が復活させたこと」
クリスチャンとして生きる決意
当時は聖書を思い巡らせる重要性など、知るには到底及ばなかったですが、結果として黙想により温泉や石油などの資源を掘り当てたようなものだったのかな?と感じています。今になってみれば、聖書から生きる意味合いを見つけられたように感じます。聖書の字面だけ見ても、面白みを感じさせない単なる活字の羅列にしか思えないと、ある人は思うでしょう。しかし、イエス様の前に罪を悔い改め、イエス様を信じ、素直に聖書に聞いて聞いて聞き続ける時、神様は人に恵みをもたらすのだなぁと知れた貴重な体験となりました。
信仰者として赤ちゃんだった時は赤ちゃんらしく、親である神様からの恵みを聖書からひたすら受ける事は大事だったと思っています。仮に上手くいかない事があっても、「イエスは主」と言う確信に戻り、聖書から恵みを受ければ、また立ち直って人は歩き始める。知っていて損はありません。そのような基礎を早い時期から習得出来たのは幸いでした。この一連の経験が今の私を作っているのですから。これからも背伸びしないで、地道にゆっくり歩みたいと思っています。全ての栄光を主に帰して、心よりの感謝をお捧げします。
今日もありがとうございました。