種を蒔こう。行動ありきです。
種を蒔く時、蒔いたら種がなくなってしまうから「もったいない」と、蒔くことを惜しみ、少ししか蒔かなかったらどうなるだろうか。当然のことながら、少しの収穫しか得られないでしょう。これは私の人生においても同じ事が言えます。もしも、肉体労働を恐れて、その行動へと自分を追いやる事をしなかったら、今の成功はあり得なかったと思います。
まずは色々やってみると言う行動ありきで、社会勉強の名目で経験を積んでみる。これだと思ったら、多くリスクを取ってチャレンジしてみれば、イエス様が「信仰がなくならないよう祈っている」と言って、自分の行動を後押ししてくれるでしょう。その計画の内実は、「ビジョンは大きく。行動は大胆に。」であるべきです。私の場合、「やっちんは非正規のくせに、何をあんなに必死なんだ?」とせせら笑っていた人も多くいただろう。「もう非正規に足を踏み入れたら、どんなに頑張っても無駄だ。やっちんはおかしいのでは何のか?」と言われて、過去の判例に従って馬鹿にされ、笑い話にされていた事もあったかもしれない。それぐらい夢中にならざるを得なかったはずだが、人生と言うのは勇気を出して行動しないと、何事も始まらないのだ。
ヘレン・ケラーからの力強い後押し
社会福祉活動家であったヘレン・ケラーが残したとされる名言に、私は深く共感するものです。「人生はどちらかです。勇気を持って挑むか、棒に振るか。」ですが、大事なのはやりながら考えて決断をすると言う事です。非正規の頃は如何せん人生経験がなかったので、何が人生について得なのかは、実際に発掘してみないと分からないのは当たり前だと思う。やはり、笑われるのかもしれないが、ゆっくり自分に腹落ちさせられるくらい、人生経験を色々とやってみる。人によっては何が当たるかは、事前に予測出来るものではない。だから、自分にインスピレーションを与えてくれるものがあれば、それをまたゆっくりとじっくりと深めていけば良いのです。
ひたすらに基礎を固めて、後から応用を効かせると考える。
私は倉庫内作業の仕事をやるに当たって、最初は筋肉痛に悩まされたのが犠牲を払う事に相当するものだったと感じる。毎日20kg以上の荷物を持つので、終業後にはひどく疲れてしまう。しんどいのは毎日ついて周り、家には寝るだけに戻ると言うくらい、当時は自分の楽しみに時間を費やす事が出来なかった。それでも、完全に楽しみがなくなる訳ではなかったのは、「この試練を乗り越えられたら、自分はお金を稼ぐ方策を得られる。誰でも出来る簡単な仕事であるなら、その仕事からは多く稼ぐ事はあり得ない。」と言う確信があったからです。仕事が軌道に乗っている現在は、割と簡単に成果を出す事が出来るし、人に感謝されるし評価もされるし、ボーナスだって常に多めにもらっている。いい事づくめであり、悩みとは程遠いように状況にあります。
まとめ
後々、豊かなお金のフロー(流れ)をもたらすために、リスクを取って多くの犠牲を払う事を惜しんではなりません。そうして人生にチャレンジする事がなければ、豊かに種を蒔く事がない訳だから、豊かな収穫を得られる機会は一生巡って来ない。神様のような大いなる存在に全てを任せて、自分に確信を持てる事に挑みましょう。きっと神様が味方してくださると信じています。