聖書が語るリーダー像
今週の仕事を乗り越えるにあたって、私と2人の後輩社員とで連携してやってきました。
その中で、リーダーたる者がどのようにあるべきかを思わされる瞬間は、度々ありました。
聖書の御言葉で真っ先に思い浮かべるのは、マタイによる福音書20章26〜27節なのです。
‘しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。 ‘
マタイによる福音書 20:26-27
https://www.bible.com/ja/bible/1819/MAT.20.26-27.新共同訳
リーダーの基本的なスタンス
マタイ20章26節で「そうであってはならない」とありますが、
リーダーたる者は集団において多数派であってはならないという主イエス様からの忠告が記されています。
多数派とは、上から言われたことをやるだけの立場で、基本的に指示待ちの側です。
リーダーは受動的ではなく、何事にも能動的であるべきだという主イエス様の意思が込められているように思えます。
リーダーへの誤解
同じくマタイ20章26節にある「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、」は、
私の中でなかなか意味合いを汲み取りにくく、理解しづらいと思っていた聖書箇所なのです。
結局のところ、「リーダー=ボランティア?」みたいに思っていましたから。
今時の若者は管理職にはなりたくないというニュースも聞くので、イメージで思わされていた節がありました。
リーダーの真意
しかし、実際に後輩社員に指示を飛ばして、教え導いていくに連れて、考えを変えました。
「偉くなりたい者が皆に仕える者になる」とは、私が会社で主任として働く上での基本的なスタンスであり、
重要な心構えでありました。仕える者は、周囲のことに意識を向けて、絶えず準備を怠らないのは重要です。
自分自身の持ち場でしっかりと働き、それによるノウハウを身につけていて、
これから先どのような変化に見舞われようと、的確に対処する術を持っているのは、リーダーとして必要条件です。
会社の仕事とは、自分の仕事(管理可能)と自分以外の仕事(管理不可能)で成り立っており、
自分以外の仕事は他者に任せつつ、それでも自分の管理下に置くためには、
仕事でのあらゆることを理解している必要があります。そのための泥臭い努力も厭わない必要があるため、
主イエス様は「偉くなりたい者が皆に仕える者になる」と仰っているのだと思います。
いちばん上になりたい者
27節の「いちばん上になりたい者=皆の僕」で思い出す人がいるのですが、その方はウチの社長です。
ウチの社長は私たちが汗水流して働いている時に、コーヒーを出してくれる時が度々あります。
私たち従業員と一緒に何かやることはないにせよ、一歩引いたところから会社全体を見渡して、
テコ入れすべきところには適正かつ確実に、手を入れていくのでしょう。
やはり、私たちの仕事場であり居場所でもある会社を維持していくには、
「自分でどうにかするところ」と「自分ではどうにもならないところ」を理解して、
その間の連関を如何に適正化いくかに知恵をしぼることだと思わされました。
だからこそ、自分が傷ついたり損したりするのを思ってしまったら、組織のためにはならないのだろうと学んでいます。
やっちんの信仰ログ