議事録に見る言葉の重み

月曜日の仕事を終えて、夜は教会の執事会での議事録をまとめるのに時間を費やし、気づいたら午後11時近くになっている。

議事録をまとめていて思うのは、そこには教会の執事たちの共通認識が記されているのは勿論のこと、委ねるべき中身と教会の動きが形となって表れているように感じられる。

教会は神様の身体であって、一人ひとりは部分です。神様からインスピレーション(霊感)を受けた人がプランを考えて、その他大勢の人たちによってどうしようかと考えられて、結果として目的が達成されると思うと、なかなかの重みがあると思えるのです。

議事録の言葉でさえ、後から教会の歩みに影響を与える。そう考えると、何千年も読み継がれてきた聖書の御言葉には、どれほどの重みがあるのだろうか。