意表外の進路が導いたもの

意表外の進路

思い返してみれば、私は自分は人文系の大学に行きたいと思いながらも、国際関係学部へ進学しました。

国際文化学部や人文学部を捨てて、埼玉県にやってきて、今も埼玉県に住んでいます。

国際系に進んでいる訳だから、流行りに乗っている進路であったはずです。人文科学ではなく社会科学の教育を受けたのが、

間違いなく今の社会人たる自分を形成しているのは間違いない。社会科学を学んだからこそ、今の視野の広さに繋がった部分もあるのかもしれない。

大学に入学したら、既に学部が決定しているのだから、その範囲内でどうするかに注力せざるを得ない。

学問との運命的な出会い

国際関係学を構築する学問は、経済学と法学と政治学だと言われています。人文志望の私には、どれもやる気が起きそうなものではない。

そのため、最低限の勉強はやりつつも、何か興味が持てるような何かを探していました。

その何かは、大学3年生の時のゼミで加入した「国際統合論」という学問でした。韓国人男性の准教授(以後、先生)が担当されていましたが、

元々は韓国や朝鮮の文化に触れたいと思っていた私には、願ってもないような厚遇を得ていたと、今では思っています。

元々は人文系が良かった私には、社会科学の学問は心をすり減らすような大変さがあったはずです。

でも、私はその先生には、本当にお世話になりましたし、支えられました。彼のおかげで、私は息を吹き返しました。

先生の指導法

彼からは勉強を教わるだけではなく、温かく思いやりのある対応をしていただき、安心感を抱きつつ私は過ごせたのだと思います。

どこかで挫折しそうになった私の心は癒されて、彼の学者としての誠実さや平安を目の当たりにして、

「自分も頑張らないとダメだなぁ」と自発的に思えたのは、それまでで一番大きい学びであったと思っています。

先生はイライラしないし、感情的になることも皆無で、ひたすらに見守ってくださる。私の自発性を用いて、私から自走する意欲を引き出す。

そんなだから、先生によって回復と導きを得て、その後の学生生活では勉強をやり抜いて、全ての単位を取って卒業できた。

先生から学んだのは、国際統合論の知識ではなく、勉強を意欲的にやる考え方と言った方が正しい。変なのかもしれないが、

結果として社会人として歩み、社会貢献を続けて、私は安定を得ているのだから、学者の考えることって深いものがあると言えますね。

先生と久しぶりにメール♪

私は所属教会の教育担当執事になり、人様に向かって聖書からのメッセージをするくらいに、人生が好転してしまいました。

過去に2度、教会学校でプレゼンをさせてもらって、それには大学時代に先生から教育を受けた影響は計り知れないからと、

最近久しぶりに先生にメールしました。そうしたら、以下のような内容のメール(一部抜粋)が送られて来ました。

突然の便り、とてもうれしく読みました。
元気にしていますか。

かなり時間がたちましたが、当時の印象は今もよく覚えています。積極的で明るい性格だったので、将来が楽しみだと思っていました。

今は立派な会社で責任ある仕事をし、さらに教会での社会活動にも取り組んでいるとのことで、期待どおりに頑張っているようでうれしく思います。

私のような未熟な学生を未だに覚えてくださっているなんて、嬉しいを通り越して感謝してもしきれない感じがします。

「積極的で明るい性格」だとは自覚していないが、前向きに人生を生きようとしていたのは、主イエス様のおかげであります。

主イエス様が開けた窓から先生からの教えを太陽光の如く浴びれたのは、なかなかない貴重な機会だったのかもしれないなぁ。

期待通りに頑張って来れたのは、先生がレールを引いてくれたから、後で帳尻を合わせられる幸運を得ている。

大学で韓国を学びたいと思っていたら、韓国人の優れた学者から一生物の大学教育を叩き込まれるとは、人生とは分からないものだ。

神様は「求める者は受ける(ルカ11章10節)」と聖書に書いてあるが、大学時代にそれが真理だと分かったのは貴重すぎる経験だし、

神様からのギフトと言える。神様っているんだなぁ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA