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教会生活を失敗(落伍)する原因

仕事からの気づき

今日は倉庫内作業の仕事で、1箱20kgくらいのネジ箱を3ついっぺんに持ち上げて、腰回りを壊しそうになりました。その後やや苦しくなったり気持ちの悪さが伴ったり、色々な不安が心を駆け巡ったのですが、時間の経過と共に癒されて行きました。今や全く大丈夫で、主イエス様に感謝する次第です。

ここで、ある確信を得る事が出来ました。それは「多くの人にとっての失敗(落伍)は、基礎も出来ていないのに応用を効かせようとして出来なくて、挫折して絶望して辞めて行く。」と言う事です。これは大学受験でも会社の仕事でもキリスト教の教会生活でも、根っこは同じではないかと思えてならないです。私が身を置くキリスト教の社会においては、新しく教会に来た新来者の方がなかなか教会に定着しないのが一種の社会問題として常態化しています。以下に、その問題の原因を記していきたいと思っています。

最初のあるべきスタンスは赤ちゃん

失敗の原因が基礎を飛ばして応用へ行きたがると言いましたが、これは教会でも同様であります。クリスチャンが教会で躓く理由は色々ありそうに思えて、実はその躓く人の信仰がしっかりと涵養されていなかったというのが、理由の根っこだと思っています。人が最初は赤ちゃんとして生まれるように、人がバプテスマ(洗礼)を授かってクリスチャンになった時、当初は誰でも赤ちゃんな訳です。赤ちゃんのなすべき働きとは何でしょうか?それは何かをするのではなく、親の愛情をたっぷり受けることです。両親やお爺ちゃんやお婆ちゃん、親戚の人から近所の人まで様々な人からひたすらに愛される事が仕事になります。常に受け身で何もしないで、ひたすらに愛を受けて受けて受けまくる。3年でも4年でも、心ゆくまで愛を受け続ける。これがキリスト教信仰で初歩にある人たちが取るべき基本的なスタンスになります。

キリスト教社会での行動戦略

人は赤ちゃんの状態で生まれて、愛をひたすらに受けまくって幼児になり、少年少女になり、青年になり、成人となって行きます。それと同様に人がキリスト教信仰に導かれたら、ひたすらに赤ちゃんに徹する事をお勧めします。具体的には毎週教会へ行き、牧師さんから聖書の話を礼拝で聞いたり、教会の皆さんで祈ったり、あとは雑談でもしておけば良いと思います。とにかく楽に構えて、ひたすらに聖書を介して神様の恵みを受け取る事です。教会の皆さんのために奉仕するとかは、この段階では考えない方が良いでしょう。何故なら赤ちゃんのような段階で、働くという大人の段階にチャレンジすると、いつかは絶対に辛くなるなる瞬間が来ます。それによって絶望して、キリスト教信仰を諦めようとするのが関の山であり、当然の帰結なのです。そうならないように、聖書を介して神様の恵みを常に受けて受けて受けまくる事が重要なのです。

こういうと、「奉仕に参加しないとは何事か?」「クリスチャンなのだから、自覚的に教会を支えるべきだ!」と言った言葉が聞こえて来そうです。それはそのはず、教会生活をしながら働きを担ってくれるアクティブなクリスチャンは数少ないのが実情であり、牧師さんとしては新米クリスチャンの皆さんにも率先して教会のために働いて欲しいと思うのも分かります。

しかしながら、自分が無理だと感じるのならば、遠慮なく働きをお断りしたりやらない選択をしたりすべきです。他人の期待などはさっさと裏切って、主イエス様と共に自分の人生を生きることを選んで行くことです。そうするのには勇気を持って、勇気を出して、一歩踏み出す必要性がありますが、「人は別個の人格を持つ限り、そう簡単に分かり合えるものではない」と知っていれば、そんなに怖くはありません。「これからの挽回でひっくり返せる」と思っておきましょう。人生は長いのだから、まだまだチャンスはあると思いましょう。

まとめ

尚、長く教会生活している限りにおいては、嬉しい楽しいことばかりでなく、理不尽で不条理なこともあり得ます。そういうことから身を避けるのは勿論のことですが、最も大事なのは「人を見ないで神を見る」という事です。人の心の中の良いことから悪いことまで全部に真に受けていたら、やってられないでしょう。心の病を患うか、生きること自体を諦めるかの選択になりかねません。世の中において、神様以外は全て不完全だと捉えて、全てを統べ治められる主なる神様にお委ねしましょう。大丈夫です。いつも主なる神様が共におられ、あなたを守っておられ、私の信仰がなくならないように祈ってくださっているのですから。

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