御言葉を土台にした結果としての祝福

今日は所属教会での礼拝で、司式を担当する日でありました。

昨日は、きたかん教会学校の集いに参加させていただいていて、聖書の御言葉にドップリだったからか、

今日の礼拝における教会の祈り(礼拝の開式祈祷)はしっかりとしたものにすることができたような気がしていた。

礼拝の後、ある教会員の方から、「殆ど噛むこともなく、スラスラと祈ったり、アナウンスしたりすることができたね。」

と言われた。昨日は会合に参加して、メモするのに徹してそれで終わることなく、その後はレポートにまとめようとしたし、

そもそも予習して臨んでいたから、理解のしやすさは段違いだったから。その後の加速はスムーズだった気がする。

会合に参加したことの感想を簡単にブログに載せたら、その時の理解が今日の教会学校でのお話しの材料として用いられて、

ご一緒したおばさまに良い話題を提供することができて、「ありがとう」と言ってもらえる幸いを得られた。

そんなアウトプットを得て、さらに話しの中身を再構成して、帰りは同じ執事仲間の方と一緒に行く中で、

「私が神様から受けた恵み」として分かち合うことができて、喜びを2倍3倍にすることが叶ったような気持ちがしている。

自分としては「聖書を学ぶ」というできることに徹していただけなのだが、それが雪だるま式に大きくなって、

神様が与えてくださった御言葉が、結果として周囲の方との交わりや励ましに用いられたように思う。

いただいた御言葉を活かせるよう、祈った結果としては上々なものであった。自分は少しずつ変化している実感がしないでもない。

この成功体験を喜び、神様に祈って委ねて、この一週間の生活をしっかりと歩めるよう、またゆっくりと歩んでいきます。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA