バプテスト教会で牧師を立てるとは?

*本日の仕事をもって、16日までのお盆休みに入ります。行きの新幹線の車内で、今までできていなかった「執事会の最中に行われた懇談の議事録の清書」を新潟駅に着くまで、グリーン車で座りながらやっておりました。

新潟駅に到着するまでに、95%終わらせることができました。今日のブログ記事は、そのブログ記事の一部分をシェアします。

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今回の懇談のテーマは、「バプテストの教会形成と牧師招聘」について。バプテストにおいて特別である。先ずは、バプテスト教会で牧師を立てるとは?を考えていきたい。

バプテストが分離する元であるイギリス国教会では、人は生まれたら自動的にどこかの教会に所属するという受動的に見える側面があった。牧師はと言えば、オックスフォード大学やケンブリッジ大学の出身者で、上級公務員らしさがあって、どこか熱のこもらない形だけな側面も見受けられた。

そもそも、イギリス国教会は国の税金で運営されているが、バプテストは自分たちのものを持ち寄り、教会を立てたいという機運が徐々に生まれていった。

バプテストの牧師は、自分たちのリーダーを選んで立てる。バプテスト最初期の牧師はビールの樽に立って、宣教の働きを担ったとされている。
→資格のあるなしではなく、教会の総意として牧師を立て、教会の皆さんと共に歩む。
→牧師になる人に信頼して、牧師の職務を委託する。
→牧師になるには、言動と行動の一致が必要。教会員の方々とお互いに弱さを分かち合えることこそが教会の基礎。
→牧師として生きるには、覚悟がいる。それは色々な課題に直面することになるためだが、それを受け止めるために、弱さを自分に引き受けて、御言葉から導かれるものをもって、対処しなければならない。