私の仕事について
ブログにログイン出来ずに時間が経過してしまったので、今日は会社勤めに至るまでの経歴を書こうと思っています。
私は、埼玉県にあるネジを製造販売する企業で、流通センターの内勤として働いています。工場からネジが届いてから、それをメッキ処理したり熱処理したりしてから更に梱包したり出荷したりするまでのあらゆる事が仕事になります。いわゆる身体を動かして働く倉庫内作業の分野であり、あまり人気のある脚光を浴びるような仕事ではないと、自分でも自覚しています。
学生時代のレベルの低さ
私は一応、大学を卒業している訳なので、最初はデスクワーク系の仕事を志望していました。普通にスーツを着て、パソコンの前に座って、快適なオフィスで働くような仕事をやるのだと、当時は信じて疑わなかったです。そうではありましたが、私は甲状腺ホルモンが低下する橋本病を患っており、まともに大学の勉強を出来たとは言い難かったし、就職活動も出来ないまま、何とか卒業は出来たと言う感じでした。当然ながら、定職に就く事が叶わないままニート生活を2年近くはやったろうか。それから、家族の勧めでアルバイトから始めようと4つほど非正規雇用を経験したが、如何せん甲状腺疾患のために頭がまともに動かなかったため、「あなた、要らない」と全ての職場で言われていました。今から思うと、凄いレベルが低い人間だったのだなぁと自分でも引いちゃう。(笑)
今の仕事と出会った取っ掛かり
28歳の頃に一度は正社員で雇ってくれた会社はあったものの、仕事を覚えられずに試用期間の途中で切られてしまいました。その後、ハローワークが私を遣わした会社は某・ユニフォームレンタルの企業でした。そこのルート営業の方々が回収したユニフォームを私たちパートがゴミなどの不純物を取り除いて、洗濯工場へ回すために身体を動かす仕事です。私としては、もう要らない…と言われたくはなかったので、意欲的に取り組もうとしました。最初は20kgくらいのユニフォームを担ぐのさえ難しかったですが、何とか対策して徐々に出来るようになりました。最初は先輩パートのおじさんは怖い感じだったのが、私が頭角を表すに連れて評価してくれて、最後は友達のようになったのは成功体験として今も大事な宝物になっています。
何故、倉庫内仕事を耐えられたのか?
そうは言っても、私は追い込まれていた感は否めなかったです。20代後半でありながら、私は正社員ではなくパートであり、私は周りから低く見られていたと感じていました。凄く身分が低くて、普通に人権などないに等しいような感じ。そんな向かい風が勢いよく吹き荒れていたにも関わらず、割と平気で落ち着いていられたのは、私がイエス・キリストを信じていたからに他ならないです。教育者だった新渡戸稲造は「逆境にある人は常に「あと少しだ」と思って進むとよい。いずれの日か、前途に光明を望むことを疑わない。」と言ったが、極限状態でも平安な心で努力出来たのは、まさしくイエス・キリストのお陰であります。
倉庫内作業の正社員になるために
倉庫内作業の分野で上手く行き、社会人として付加価値を供給出来る事に満足感を得ていたので、正社員になってからも倉庫内作業の分野で働きたいと思いました。就職する上で、私がやった工程は以下の通りになります。
- 仕事と言うものを得意分野と課題分野と苦手分野の3つに区分けして考えてみました。
- 正社員になるに当たって、今のスタート地点から辿り着けるのかを確認します。大丈夫そうと思ったら、自分が培って来た得意分野に更に全体的に幅広く仕事を出来るようになると言う課題分野の強化に取り組みました。
- 人間である以上、絶対的にどうにもならない苦手科目はあるもので、それはお化粧で誤魔化すとして、あとは得意分野と課題分野で95%の得点を取れば上手く行くと仮定した上で、採用の陽の目を見るまでひたすらに努力をし続けました。
以上述べた通り、私が成功した理由は簡単です。全体的に自分を吟味し、弱みと思えるところをとことん補強して得点源にし、形勢逆転を決めたことでした。そうすると、人の私への評価は180度変わります。人への評価はその時々でコロコロ変わるからこそ、安心してイエス・キリストを信じ、待っていられたのかもしれません。本当に神様に感謝します。
基礎を習得するのが道である
正社員になっても難しい状況は続き、より重い荷物を持つ機会が増えながらも、じっくり仕事に取り組み少しずつ形勢逆転させる事で、自分の進む道を切り開いて来ました。ひたすらにやる事で、基礎をしっかりと習得する重要性も覚えました。振り返れば、倉庫内作業における稼ぎ方が結果的に分かっていると言う感じだろうか。そんな私は今や会社の主力メンバーで、幹部候補の地位にいます。全てはイエス・キリストのお陰であり、もし私がクリスチャンでなかったら、ひょっとしたらもうこの世にいなかったかもしれない。だからこそ、これからもイエス・キリストを見上げて、この世での勤めをしっかりと果たして行きたいです。
イエス様、今日までありがとうございます。これからも宜しくお願いします。栄光在主。