今日になって、やっと「きたかん教会学校の集い」のメモ書きをレポートにして、執事会のLINEグループにシェアしておいた。
教会関係のイベントは、派遣礼拝という時間を過ごしてからお開きになる。そこでの説教の内容に教えられた思いである。
それは「理解だけで、教会を満たしてはならない。御言葉をいただき、黙することによって、得られるものがあるから。」という箇所。
ものごとの理解だけではなく、御言葉を黙想し、自分のものとして受け取ることにも価値がある。
理解して、実際に行動して経験を積むことで、何事も上達するもの。だから、場数を踏んだことで示されることは貴重だ。
行動は自分が動けば、実践できてしまう。しかし、その行動なり実践なりの方法論というのは、神様が御言葉への黙想を介して人間に下さる。
だから、人間の側の働きと神様の側の働きが上手く噛み合うことで、教会という有機体が成り立つんだな。
色々なことに応用されているような気がするが、今日はここまでで止めておく。そのうち、深掘りしてみたい。
やっちんの信仰ログ