デボーションとは何か?
毎日、聖書を読んで黙想し、学んだ事を感謝と共に祈り、全てを委ね神様を信頼するまでの一連の流れをデボーションと言います。
私はデボーションをテキストとして、2013年頃からメルマナを使っています。いのちのことば社と言うキリスト教系出版社がリリースしているデボーションガイドであるマナのメール版です。私は初め、いのちのことば社のTwitterアカウントから知ったのですが、メールマガジンを通してやるのが自分にあっていると思えたのでした。何故なら、私はそれまで本を読む習慣がなく、仮に本に手を出したとて、3日坊主で終わるのが関の山だと思ったからです。携帯電話をいじる習性を上手く利用する事で、デボーションの習慣を維持させられると思って始めており、今も習慣の一つとなってなくてはならないものになっています。
メルマナの概要
メルマナの説明によると、「本を持ち歩かずに通勤や通学中にディボーションをされたい方、忙しい中でもみことばに触れる時間をもちたい方におすすめです。」との事で、やはり携帯電話をいじる延長線上で聖書の御言葉に触れる事を想定した作りになっています。何が一番いいかと言えば、どこを読まなければならないかは全てメルマナに一任出来る事です。旧約聖書と新約聖書をバランス良く読めて、聖書と言う書物を全体的に俯瞰するにはもってこいの作りになっています。
次に挙げたいのは、聖書箇所の説明文は様々な教派の先生によって書かれており、精密な聖書解説から人生への適用まで、様々な角度からアプローチされており、それがまた興味をそそられます。最も胸をつかまされた解説文の一部を挙げるとすると、それは「刑務所に入っても、きちんと更生して社会復帰出来る人の多くは、家族や友人から見放されていない人たちです。」と言うものです。自分は不完全な者で、魅力にも乏しいしがない者でありますが、そんな私でもイエス様からは見放されていないから、これからの頑張りで人生は変えて行けると勇気を持たせて頂きました。その他、心に豊かさを注ぐ仕組みが精巧に組まれている感じがして、とてもお勧め出来ます。
最後に祈りの言葉で終わるのですが、それが大いなる救いを呼んでいると信じて疑わないと思えます。私は電車の中でメルマナを読んでいる事が多いのですが、ともすれば聖書箇所と解説文だけ読んで、慌ただしく離脱しかねない可能性はたくさんあるのが現状です。しかし、祈りの言葉の目にする事によって、一旦立ち止まって心を鎮めるのに大いに役立ちます。これが聖書から多くの恵みを受け取る秘訣だったのだと知った時には、神様を崇め賛美と共に感謝しました。
こう見ると、凄く手の込んだ作りになっているように見えますね。聖書はもっとそうなのでしょうね。
まとめ
聖書とは「水脈の上の土地」みたいなもので、黙想しながらテキストを掘り下げて行くと、命の水に突き当たるのです。しかし、ただ表層をなぞっているだけでは、私たちに利益をもたらす事にならない事の方が多い気がする。如何せん、聖書とは味気のない言葉の羅列のように感じられて、それ以上の私たちに教えない感じさえする。
だからこそ、命の水が湧き出るまで、掘り下げていく黙想が必要不可欠なのです。忙しい日常の中でも、気軽に聖書の御言葉に触れる機会も設けては如何でしょうかと思い、今日は私が愛用するメルマナを紹介しました。このクオリティーで月額420円って、安く見積もり過ぎてやや心配を覚える価格設定だけど、多くのクリスチャンに愛用されてこの価格なら御の字なのかな。
キリスト教の信者ではないけど、キリスト教に興味がある方は登録して使ってみるのをおすすめします。かなり有用度が高く、人生が良い意味で変わると思いますので。宜しくお願いします。