主の御前にへりくだる

今は箴言を通読しています。

ソロモンが知恵について記していて、私はその知恵を大事にする人と大事にしない人との対比について、度々納得させられるところが多いように感じている。

失敗してしまうパターンは色々あるとは思うけど、一番多いパターンは「暇な時間がたくさんあって、それ故に怠惰に陥り、後先考えないで何かに手を出して、それが不幸を呼び込む」だと思う。

桃太郎電鉄で言うところの貧乏神を呼び込むイメージ。トランプで言えば、ジョーカーを引いてしまうことでもあるだろう。そんな時は、後悔してしまう気持ちと共に、どうしたら良かったかに思いを馳せる場合もある。

そんな時は、どう受け止めるべきだろうか?それは、「自分自身を誇ることなどできないことを知り、へりくだる」ことではないだろうか。

箴言18章2節には、

「愚かな者は悟ることを喜ばず、ただ自分の意見を言い表わすことを喜ぶ。」
‭‭箴言‬ ‭18‬:‭2‬ ‭JA1955‬‬
https://bible.com/bible/81/pro.18.2.JA1955

という言葉が記されている。

この言葉は私の特性が上手く言語化されていると感心するのだが、自分自身が意見を言い表わすのをやめて、主イエス様の御前に静まり、心ゆくまで祈り、主に言い表してもらうような自分でありたいと思わされました。

自分には限界があるのを認めて、できないことは主に委ねて、できることにこそエネルギーを注ぎたい。そのために、誇れない私が誇れるお方に祈りで繋がろうとするからこそ、へりくだる気持ちも生まれてくるのだろうと思わされました。