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キリストの恵みによって義とされる

はじめに

以下の文章は、私が所属教会の教会学校で「テトスへの手紙3章1〜11節」を題材に、私なりに内容を汲み取った結果としてのプレゼン原稿になります。

テトスへの手紙3章1〜3節の概略

1節から3節まで、使徒パウロがテトスにお願いしたい神様の働きが書いてある。内容としては、支配者や権威者に従いなさいと言いながら、それだけではなく、それらの上役に当たる人たちに対して、良い業を行う準備があるべきだと言っている。

良い業を行う準備だけではなく、その心構えとして2節で、この世の中で上手くやっていくために、気を付けるべきことを述べている。その理由として、3節にはかつての私たちは神様から離れて好き勝手にやっていたからだと述べている。

パウロの言葉から感じられるリーダー像

 

このような内容から、サラリーマンの私からすると、パウロは現場主義のリーダーだったのだなと想起させられます。現場で仕事をする中で、上からの指示だけではなく、自分で動くことが求められる場面を思い出します。

パウロとテトスのやり取りは直接ではなく手紙であるからこそ、あれこれ言うことはできません。簡潔であるからこそ、パウロの書く手紙には厳しさが表れやすいのかもしれない。5節に「憎み合っていたのです」とあればこそ、パウロの人々への「しっかりして欲しい」との気持ちは凝縮されていたと感じます。現場でも、同じように感じる場面があるのではないかと思います。

パウロとしては、テトスに働きを委ねるしかないため、4節以降で「神様は御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました」とのメッセージでテトスを鼓舞しようとします。私たちは神様の子として、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのだと7節まで記されていますが、その分量からしてパウロの神様から受ける喜びの大きさが垣間見えるようです。最初の厳しさからは打って変わって、優しく感じられます。

神様は御自分の慈しみと人間に対する愛とが現れた時に、御自分の憐れみによって、私たちを救ってくださいました。私たちが頑張ろうと頑張るまいと関係ありません。私たちが日毎に週毎に御言葉をいただいて、心の中で思い巡らす時に、自分が神様からありのままの自分として愛されていることが自ずと分かります。だからこそ、これからも神様に全てを委ねて、また励んでいきなさいということなのでしょう。

具体例:リーダー像と重ねて考える

 

ここで一つの例として、私の地元である新潟県出身の、山本五十六という日本海軍の軍人を挙げたいと思います。彼は「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば人は動かじ。」という言葉を残しています。

まず、「やってみせ」は、主イエス様やパウロが神様に仕えていることを実践していることを見せることで、具体的に提示する段階。

「言って聞かせて」は、意図や理由を説明するところですが、ここではテトス3章1〜3節が当てはまるでしょう。「私たちは神様から離れて好き勝手にやっていたからこそ、支配者や権威者に従い、その心の準備もすべき」だと述べています。

「させてみせ」は、テトスに書き送っている今回の聖書の箇所そのままですが、行動すると素晴らしい約束があると、4〜7節までの分量をもってテトスを励ますパウロの言葉が示していると思います。特に、8節で「パウロの書いたこれらの言葉は真実だから、これらのことを力強く主張するよう希望します。これらは良いことであり、人々に有益です。」と念押しされています。

「ほめてやらねば」は今回のテーマにあるように、「キリストの恵みによって義とされる」の一言で現されるでしょう。私たちは神様の憐れみによって救われ、聖霊によって新生され、しかも聖霊を豊かに注がれて、キリストの恵みによって義とされて、希望通り永遠の命を受け継ぐ者とされたのだと記されています。私たちが神様を自分の救い主として信じて受け入れて心を開き続ける限り、神様にある良きものは全てあなたのものだと保証されている意味での承認と言えるでしょう。これは仕事の現場でもそのまま当てはまると感じます。有難い限りです。

忠告の部分(9節以降)

最後に9節以降を見たいと思いますが、パウロからの忠告の言葉が並んでいます。愚かな議論、系図の詮索、争い、律法についての論議を避けるべきこととして挙げられていますが、神様の広さ・高さ・深さからすると些末なことで、おそらく答えが一つに決まらないような類いで時間泥棒になることを避けなさいということだと思います。

10節は、パウロが教会を大事にしていたと読み取れる箇所だと思えるので、個人的に印象に残っています。教会で分裂が起きそうになるのは仕方ないとしても、パウロは「従わなければ関わりをもたないように」と勧めることで、神様に分裂をもたらそうとする人を委ねたのだと思います。状況は刻々と変化し、人も変わるので、神様に悔い改める人をまた受け入れたり面倒をみようとしたりする度量の大きさがパウロにもあったのではないでしょうか。できなくとも、教会というシステムで皆さんで協力して何とかしようと思ったのではないでしょうか?

まとめ

今回の聖書箇所で、パウロの仕事への厳しさと温かさが滲み出ているように思われ、パウロの宣教への覚悟も垣間見れた思いです。非常に印象に残る箇所だと感じました。そのことに、私たちは心打たれるのだと思います。これからも聖書から良いものをいただいていきたいです。

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